ないれじ/nicelegend’s blog

九州大学三年生(21)。趣味やら学んだことやら日記やらを書いてみようかなと思います。

「〇〇としての自覚」って言葉が嫌い。

 私はアマノジャクな人間なので、「〇〇生として」「〇〇学部生として」「◯大生として」「〇〇人として」みたいな論調が嫌いだ。はっきり言って気持ち悪い。
 所属はあくまで私を構成する要素の一つに過ぎず、「〇〇としての自覚」とか言われても知らないわ、そんなのと思う。一属性として思い上がり過ぎだ。

 冒頭のような言葉を聞くと、そもそも「〇〇生としての自覚」って何だよとツッコミたくなる。一人一人それぞれ、考え方も行動パターンも違う人間の集団を「〇〇生」という属性のみで形容できるとでも思っているのだろうか。そんなに人間って単純なのだろうか。

 今まで聞いてきた、この”自覚"とやらはどんな意味で使われてきただろう。今まで聞いてきた感じだと”集団への帰属意識”が言い換えとして適切だろうか。「〇〇生という自覚を持って」ならば、「〇〇高校への帰属意識を持って」という具合に。

そもそも、もしこのように組織への貢献を”自覚”のような帰属意識として求めたいならば、順番が逆だと思う。

 最初に、組織から個人が恩恵を受け、そうして初めて個人の中から湧き上がる"組織へ貢献したい、恩返ししたい、一員になりたい。”というような能動的なものこそが、自覚のあるべき姿であって、先に組織から自覚を求めるのは、順番が逆転していると思う。

だから私は、冒頭のような言説に対し、服従の意思と感謝をいきなり求めてくるような、恩着せがましく図々しい気持ち悪さを感じるのだと思う。